今月のメディスン4月

 

こんにちは。
春感が増す今日このごろですが、連日ほぼweb関連の作業でまた新たな難関が訪れ、しかし足掻いたところでどうにもならないのだから自分のペースでやるしかないよね、と
先ほど郵便局へ行った帰りにぶつぶつ言いながら自転車で走っていると、
急がば回れ」の看板が。


先日の「できます」に続き、こころ折れそうになるとあらわれるメッセージに励まされる今日このごろでもあります。

 

というわけで、今月のメディスン、いってみます。

 

◆今月のメディスン4月

テーマ:「無に見出す、ゆだねる」
奇跡を受け容れる、 “それ” が起こるのを許可する
あるいは自己創造

今月のテーマ、ちょっと抽象的に書いてみましたが、
ありえない、と思うことが起こったとき、ひとはそれを奇跡と呼びますが、
ありえない、と思うのは、そうしたことを望んでいるにもかかわらず、「起こるわけがない」と信じている、思い込んでいるから。

 

起こってほしいけど、そう簡単に起こるはずがない、ありえない、だから “それ” を「奇跡」と呼ぶんですよね。

もっといえば、ほかのひとには起こるかもしれないけれど、自分にはありえない、と思っているひともいたりする。

不思議ですよね、なぜ自分には起こり得ないと思っているのだろう。

 

たとえば量子力学ではすべて波、そこにフォーカスしたものが粒、つまり物質化、現象化されるというのがすでに実証され、日本の機関でも日々さまざまなケースにおいて研究されていて、言ってみればもはや奇跡でもなんでもないわけですが、
それでもこうした非物理的な現象(というか、自分が知らないプロセスで起こること)についてはそんなはずはない、という逆に根拠なき否定や、

あるいはそうかもしれないけど…と実感がない、疑いが消えない、というむしろそっちのほうが不可思議だと思うんですけど、
そう主張するのは概ね3%の脳、つまり「エゴ」の判断なんですよね。

 

この概ね3%の脳、というのは、人間の脳は7%とか10%とか、とにかくものっすごいちょっぴりしかつかわれていない話、聞いたことがあると思いますが、
最近の説では実は1%くらいだと、つまり99%はつかわれていないのだと。


さすがにもうちょっとつかってるだろう、そうであってほしいという思いも込めてわたしは3%とすることに勝手に決めたのですが(笑)、

どちらにしても半分もつかってないんだよと。

別の言い方をすれば、なんかときどき自信満々なひといるけど、それたった3%くらいの “知覚” での知識、“判断” なんだよと。

 

そしてこれって、スマートフォンとかPCにすごく似てると思うんですよね、ほとんどの機能をつかっていない、そんなものがあることさえ知らない、つまり「自分が知っていることだけ」の世界で生きているのだと。

同じように自分の機能、世界の機能、自然、宇宙の機能、どのくらい知っているのかと。



ちょっと脱線したかもしれませんが、

“目に見えないパワー” 、つまり “自分が知らない何か”を見出し、その“何もないようにみえる何か” “知らなさ” にゆだねてしまうこと。

ありえない、と思い込んでいることが、あなたを通して、自然に、勝手に、あたりまえに起こることを許可すること。



「奇跡」と呼ばれることは日常のどこにでもあるのだと気づき、ほんとうはこの世界が、いつでもそう動いていることに気づく。

もっといえば、奇跡はいつでも起こるのを待っている、あなたがそこに目を、意識を向けさえすれば。

 

否定するのも疑うのも、結局のところ、自らコントロールできない3%の脳の言い分。

だから、知らないこと、わからないこと、3%にはけして理解できない領域にゆだねてしまうこと。

なぜなら、すべては“そこ”で生まれるのだから。

 


というわけで、ひさびさに
Have a Great Nothing, Empty, Zero!

 

むかし飛行機がなかったように、電話がこんなに小さくなるだなんて夢の未来だと思っていたように、
奇跡や魔法って、ほんとうは、まだ起こっていない状態、そしてこれから生まれる、つくられる状態のことを指すのかもしれないですね😊

 

それではまた。

春、いい感じで☆