(追記あり)続・「役」を降りる〜今週のメディスン11/6〜


なんだか最近、いつにもまして情報量が多く、今朝は急に外でどーん、と音がして、いまの太鼓だよね、絶対太鼓だよね、と、きのう和太鼓に関連することを調べていたため動きを止めて耳をすませていると、
最初1回だけだった音が、どーん、どーん、どーん、どーん、どんどんどんどんどんどこどんどこどん、もう完全に和太鼓だよね、これが和太鼓じゃなかったら何なんだ? っていうくらい和太鼓だよね、とベランダに飛び出し、そしてお囃子がイン、
うちの前の通りの裏あたりにいるらしく、しばし聞き入り、そして踊っていました(お囃子やいい感じのビートが流れると、自動運動にように踊ってしまいます)。

もうすぐ通りに出て来るだろう、と洗濯をしながらベランダに張りついていたんですけど一向に来なくて、そのうちお囃子が止まり、しーん、となって、
結局御神輿もお囃子隊の姿も見えず、何事もなかったように土曜の朝の風景となったのでした。

そういえば、歓声的な声も聞こえなかったし気配もなかったですね。
とりあえず、あとで近所の神社に行ってこようと思います。


さてメディスンです。
先々週くらいでしたかね、かなり反響のあったメディスンがまた出ています。
早速いってみますね。

 

◆今週のメディスン11/5〜
テーマ:「役」を降りる、降り続ける
何をおそれ、何を回避するための「役」か、
そして、その「役」から何を学ぶのか。


まずお手数ですが、こちらのメディスンを読んでからまた戻ってきていただきたいのですが、
呼吸のほうのクラスで、自分はこんな役やあんな役をやっていました、というご報告、ご感想をいろいろいただき、
すごい観察力でご自分をみて気づかれた方が結構いらっしゃるのですが(こんなとき、ほんとにこれ書いててよかったなと思います、ありがとうございます!)、
ほんと、1個や2個じゃないんですね、役。

しかも、今回はより深く、ノーマークな役にフォーカスせよ、ということで、また出てきたのですね✨ という印象です。

じゃないと、あんまり間がないうちに出ないですからね、これがメディスンの面白いところで、もちろんタロットとかもそうだし、まあすべて周波数に還元されるわけですが、
さらにいえばここに書いているのは全体のメディスンなので、集合無意識の関連もあるんです。


ちょっと余談ですが、同じものが出続ける、ということで自分の話をしますと、
たぶん20代のころなので、かなりむかしなんですが、ある弁天様のところでおみくじを引いて、まさに今朝の太鼓のようにですね、どーん、と響いたわけですねその内容がわたしのいわゆる五臓六腑的なところに。

で、わーお、わかりました、努めます! と、そのおみくじは結ばずに持ち帰り、
そして2週間後くらいですかね、そろそろ変わったんじゃね? 自分、クリアしたんじゃね? と思い、お伺いをたてるように再び弁天様のところに行ったんですね、

いうまでもありませんが、出たのは同じ、まったくおんなじ文言のおみくじ。

で、すいません、自分過信しました、さらに努めます! と、逃げるように帰宅、
そして今度はひと月くらいあとですかね、結構自分、努めたんですよ、あらためたつもりなんですよ、と訴えたわけですが、お察しの通り、また同じでしたよね。


結局3ヶ月くらいですかね、おんなじのが出続けました。
これ、全部同じのが入ってんじゃね? と思い、一度は友人をともなって行ってみたのですが、
これもお察しの通り、友人はまったく別のものが出ていました😊

 

そんなふうにですね、頭、エゴ、マインドはですね、自分もう気づいたでしょ、わかってるでしょ、と訴えるわけですが、そもそもその声の主がまず「役」であってですね、ぜひ調べてみるといいんじゃないかと思うのですが、
もうひとつ「気づきにくい役」について。

これが今回のわりとフォーカス・ポイントで、それは「言いわけするひとの役」というものです。

自分は◯◯だから無理なんですよ、とか、自分は◯◯だからできないんですよ、というタイプの役。
この◯◯のなかには、たとえば「経験がないから」とか「お金がないから」とか「恥ずかしがり屋」とか「気が弱いから」とか「苦手だから」とか「病気だから」とか、いろんなものをあてはめていただきたいんですが、

ほんとに、そうだとできないのか、と、無理なのか、と、その自分でできることってないのかと。

そこでいちばん気づくべきは、「自分はいったい何をおそれ、回避しようとしているのか」
だと思うんです。

 

結局、何かを避けるため、つまり自分を守るために「役」をやるんだと思うんですが、
「役」はやはり「役」にすぎないんですよね、そのままでいる限り、ほんとの平和は残念ながら訪れない、安心感に包まれることはない。

だってその役の衣装って、ごわっごわだったり、すっかすかだったり、がっちがちだったり、とげとげだったり、目出し帽だけとかぼろきれのようなものをわざわざまとっている方もいるんじゃないかと思うんです、
でもそれ、守れてねえから、全然守り切れてねえから。

だって、どれだけ鋼鉄のような衣装をまとっても、ほんとうには安心できてないと思うんです。 完全に守られてる感じ、ありますでしょうか。そして、こころから自由に生を闊歩できていますでしょうか。
自分のことでいえば、ザッツ・ライト、残念ですが闊歩できてないですね「役」のままでいるときには。

そんなわけで、さらに「役」、みてみてください。
裸で走り回るこどもの強さ、無敵さ。

そもそもわたしたち、みんな、まる裸で生まれてきてるわけですから😊

 

そして、ぜひ今月のメディスンと合わせてみてみてください。
「現在地」にいる自分は、どんな役をまとっているのか。

その役を降りなくては、たとえ“物理的な”目的地にたどり着いたとしても、いままでの場所で過ごした自分と同じ状況が繰り返されるんだと思うし、繰り返されてきたと思う。

なぜなら、どれだけ環境や物理的な身なり、振る舞いを変えても、
「その役」の気持ちで考え、動き、その役のセリフを語り続けるのだから。

 

というわけで、また!

しかし、あれから太鼓の音がまったくしてないんですよね。

神社行ってきます😊


*追記* もしかして誤解があるかも、と思ったので、追記しておきます。

「自分は◯◯だから無理なんですよ」のくだりですが、これ、「無理」とか「できない」以外に、「がんばらなくては」「やらなければならない」というのもあるな、と。

本来、がんばれるような状態ではない場合、つまりもっとゆっくりとか、休む必要性や、むしろがんばらない、入りすぎてるちからを抜く方向だったりするときですが、
自己価値や罪悪感、劣等感をかかえた役の考えは逆だよな、と。

特に病気の場合はどう捉えるか、難しいところがありますが、わたしもこどものころから持病があるため、動きたいときに動けずきびしい思いをすることがいまでもときどきあって、
いろいろ考えたり感じたりすることがあります。

けれど、それでもやはり、視点というものはいかようにも変えることができる、そして、いま、その状態の自分だからこそ気づけること、理解できることが間違いなくある。

とにもかくにも、自分の、いまの状態、そしてその役をなぜ自分は選んだのだろう、この現実から何を学び、活かすことができるのか。

ぜひ、その視点でみてみると、間違いなくそこにあるギフトに気づくことができるはずです😊