“自分” というグラウンドに着地する〜今月のメディスン8月


こんにちは。
またも体調不良で床に伏せっておりましたが、だいぶ回復してきたので、
とりあえず今月のメディスン、アップします。

ほんとは7/31にほぼ書き終えていて、あとは推敲してアップ、のところで外出予定がありタイムアップ、帰ってきてから更新しようと思いつつそのままダウン、、だったので、テンションがいまの自分とはちがうんですがメディスンの内容につながるくだりがあるので、ほぼそのままアップします。


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こんにちは。
8月ですね、ほんとすごいです。時間なのかなんなのかわからないですが、
この日々というものがまるで生きもののように感じます。
まるでひとつのうねりのように、吹き抜けてゆく風のように動き、速度、
これっていったいなんなんだろう?
大人に聞いてもうやむやにされそうな疑問、
ここにとてつもない何かが間違いなくある。
そして問いかけて、視点を合わせていると、必ずこたえがやってくる。
それは、いますぐに、ではないかもしれないけれど、
だったら待っている間、何か楽しいことをみつけたらいいですよね。


さっき先月仕込んだ梅シロップを解禁してみたのですが、うんめぇ〜ものっすごくうんめぇ〜と思わず声に出してしまったほど素晴らしい出来でご満悦です。
今年はすでに4種類の梅を仕込んだうちの4瓶目で、きび砂糖が溶けてからは完全にほったらかしにしていたもので、
やっぱり自然は勝手にやるなあ、と、さらに熟成していくんだなあ、と、
蓋をしっかりと閉めて、しばらく放っておこうと思いました。


時間というものに対する疑問と梅シロップ、
ひとの頭のなかには常にさまざまな思考が飛び交っていますよね、
それらのどれをチョイスしてつき合っていくのかは、自分が決めます。

 

と、自動書記のようになってきてるのでメディスンいきます。
しかし自然、人間って、ほんと神秘ですな。

 


◆『今月のメディスン8月』

テーマ:「自分の土台を思い出す」
“自分” という生まれながらのグラウンドに着地する


毎年、8月は切り替え前の感覚があって、9月に入ると新しいエネルギーへと大きく変換がはじまる、その前の月、という印象なんですね。

で、そんな今月は、まず楽しむ、そしてちゃんと休んだらいいと思うんです、この夏休みの感覚、もちろんお仕事されていてまとまった休みがないとか、来月とる、とかいろんな方がいらっしゃると思いますが、
それでもこの夏という季節、ある意味エネルギーの爆発感があると思うんですね、これは集合無意識と共鳴し合っていると思うけれど。


そんな季節に出たメディスンはいわゆる「土台、地に足をつける」というテーマではあるのですが、
こんな素敵な季節に頭で考えるまじめさとか、規則正しい生活設計、みたいな着地感が要求されているの? と考えたらそれはちょっとちがうでしょう、と。


だってうちの梅シロップの熟成はまずこの気温、環境のおかげだと思うんですよ、そして好き勝手に発酵したり梅からじんわりエキスが出てくるそのプロセス、
こんなのセオリーなんてないですからね、今回あの瓶というひとつの世界に集合した梅たちときび砂糖の一粒一粒、そしてちょっと人間の肉眼では確認できないけれども多くの微生物や菌たちが織りなす夏物語なわけじゃないですか。


みんなそれぞれがそれぞれの場に集まって、それぞれの個性、性質ならではの動きと、
そして外界の太陽の光、ときには曇による翳り、温度、湿度、風、直接触れはしなくともその気配、感覚、さまざまな自然たちの響宴、
で、この人間のほったらかし、いい言い方をすれば、自由にやっておくれ、自由にシロップになっていったらいいよという「支配しない、束縛しない在り方」。


さてこの土台、地に足をつける、ということについて、
今月は、「自分が楽しめる土台、そこに着地する」というメディスンとして提案したいと思うんです。

夏が嫌いなひともいるかもしれませんが、
だとするなら、その理由、ちょっとみてみるといいですし、無理に楽しもうとする必要はまったくないです、むしろ無理にするならそれは自分を追い込むことでありそもそも楽しさとは相容れないもの。


それを踏まえて、楽しさ、自由、よろこびでもなんでもいいですが、
自分のそれってどういうことだろう、ほんとに純粋に自分は楽しむことをしているだろうか、楽しめているだろうか、と、問いかけてみてください。

もっといえば、お仕事たいへんな方、ほんとはやめたいと思っている方、
そうではなくてもご自分が仕事をする、つまり生活、趣味、好きなこと、なんでもいいですが自分が日々を暮らす、生きることにそれはつながってるはずなんですね。

だとしたら、なんのために自分は仕事をするのかな、ってみてみるといいんじゃないでしょうか。


それは自分のここちよさにつながっているのか、その土台となっているか、
あるいはお金がなくなるとか世間の目とか働いていないと◯◯、のような、
不足感の解消なのか。
だとしたら、それは揺るぎない、ほんとうの意味で自分が安心してここちよくいられるための土台なのかどうか。

 

土台、自立って、何かを手にして得る安心ではなく、
自分がそこに存在している、その存在自体から湧き起こってくる感覚だと思うんです。

なぜなら人間、もっといえば生命あるすべての生物はみんな、
自然災害をはじめ、いろんな危険にさらされるこの世界に放り込まれ生きるということがはじまる。

そんなわたしたちには、それでもだいじょうぶだと、「安心」という土台が最初から備わっているはずなんです。

ただそれを、なんらかの理由によって見えなくなってしまっただけ、隠されてしまっただけなんです。

だから、それを思い出す、最初から自分はそのうえで泣いたり笑ったり怒ったり、いくらでも感情全開にしてのたうち回れるほどの強度のある、けして割れたりなどしない大きくどこまでもひろがるこのグラウンドの上にいることを。


この季節、そのことをとっても感じられるんじゃないかと思います。
数ヶ月後にはやってくる寒さの前に。

 

というわけで、また!
夏満喫を訴えている自分がまだ😵‍💫 な感じですが、
次回は復活してお届けしたいと思います😊

みなさまも、夏バテ等、気をつけて、楽しんでくださいませ🍉