そのたびにつくりかえられる世界〜今週のメディスン8/7〜

 

こんばんは!
早速今週のメディスンです。
週末、忙しかったため、移動中の電車のなかで書いたので、思いのほか長くなりましたが、読んでみてください。

 

◆今週のメディスン8/7〜
テーマ:新しい風景をみる、その立ち位置、その視点
それぞれの視点によって、その都度つくりかえられる世界

 

目に見えているこの現実って、実は揺らいでいるんですよね。
量子論をみれば明らかなんですが、有名なのは二重スリット実験。検索すればたくさん出ているので興味のある方はみていただければと思うのですが、
「時間」のことも含めさまざまなことが研究され解明され続けています。

自分で現実、世界、“この時間”に対して「こういうものだ」と判断し決めつけ固定しなければ、それらは揺らいだままなんです、まるで浮遊するやわらかな綿のように。

綿、と書いて思い出したんですけど、以前中目黒の蛇崩という場所を通りかかったとき、この地名の由来を知りたいなー誰か教えてくれないかなーと思いながら自転車を漕いでいると、前方から全身白ずくめのおばあさんが歩いてきて、声をかけられたんですね、
その内容は忘れてしまったのですが、ふと、このひとなら名前の由来を知っているのでは?と思って、「なぜ蛇崩というのか知ってますか?」と尋ねてみると、「それはね、」と白ずくめのおばあさんが話しはじめた途端、
どこからかケサランパサランが3つ、ふわりふわりと一列に並んで飛んできて、ゆっくりとおばあさんとわたしの間を通り抜けていったんです。
なんかわかんないけどすごいなーたましいとかなんだなーと思いました。
不思議なおばあさんシリーズのひとつです。

と脱線しましたけど、こんな感じ。
ちなみに白ずくめのおばあさんシリーズもあります😊

ほかにも、うちに帰ったらmacbook のキーボード部分の上になぜか金箔がのっかっていたり、
以前の仕事場でのどが痛くてのど飴食べたいな、できればジンジャーの飴、と思いつつ買いに行く時間ないなとトイレに行くために化粧ポーチを出そうとバッグをのぞくと、まったく覚えはなく見たこともない「ジンジャーキャンディ」と書かれた飴が入っていたり、まあいろんなことがあります。

こういう話をすると途端に疑ったり揶揄するひとがいるんですけど、自分にとっては現実、日常の一風景で、別に信じてもらえなくてもかまわないし、
というか飴があってラッキーだし金箔何につかえばいいのか不明だけどやっぱり時間てないんだな、という理解につながるので、なんの不都合もないんです。
ひとがどう思おうと、体験したことは事実だから。

結局、他人の体験を自分の思う通りに解釈し固定しようとするのは、そうしなければそのひとにとって“不都合” があるからなのでしょう。


つまり、それぞれの信念観念思い込み判断解釈によって、わたしたちの体験する時空間はこうして分岐し、
それぞれの “それ” に応じた世界現実がつくられていく、ただそれだけなんですね。


目に見えている現実って、揺らいでいるんです。
次にどんな風景をみるのか、どんな“時間”を体験するのかは自分が決めるんです。

毎日続く風景は、あまりに慣れ親しんでしまい、もう目に入ることなく、立ち止まってわざわざ眺めることもせずに通り過ぎてしまう

けれど、もしも別の景色が見たいのならば、立ち位置、スタンス、つまりあなたの “視点” を変えてみてください。

起こったことをどうみるのか。
いままで見続けてきた風景を変えたいのなら、ただそれを眺めているだけでは変わらないんです。
いつもの風景しか映さないその “メガネ” をはずして、新しい別の景色をみること。
現実を、世界をみること。


というわけでまた!