自分は理想を実現するに値する存在〜今週のメディスン9/25〜


最近、自分いったい第何回成長期なのか? という感じで、いろんなことの見直しや新しいことのはじまり、それにともなって物理的なもの、考え、行動の仕方など「古いもの」を捨てることが起こっています。

そのなかで、自分はどこに向かっているのだろう、これは続けるべきか、持っている必要はあるのかなど、同じく物理的なものから考え、捉え方、動き方、人間関係まで迷うことが出てきます当然ながら。
なぜって、いまいる場所にはいられなくなるわけですから。

そのときに自分の指針となるのは、「で? どうなりたいの、どう在りたいの? どんな気分、感情でいたいの?」という問いかけ。

そして自分の Life Purpose。それにともなって、いま自分はこのなかのどのレッスンを体験しているのだろう、どのギフトを受け取ろうとしているのだろうと問いかけます。


最近はずっと、わたしのメインテーマである「無条件の愛」。
ようやく来たか、と、そこに関連するあれこれを通過中という感じです。

これは何よりまず自分に対して、そして世界に対してです。
もう究極のテーマといってもいい、どでかいことなのですが、これを理解し気づき受け容れられるまで、あらゆるネガティブ、自責、つまり頭、マインド、
そう、「エゴの考える“正しさ”」 へと導こうとする言葉の数々をかわし、もうおまえらの言うことにはしたがわないぜと完全降伏させるべく、日々自分と付き合っていっています。


とか書くと、それはそれはたいへんなことでしょう、と思われるやもですが、
いやいやちがいます、やっていることは自分に条件を課さないことですから、常に自分をここちよくさせる方向、自分を幸せな気分にする方向、楽しさ、よろこび、つまり自分は「どうなりたいの、どう在りたいの? どんな気分、感情でいたいの?」
そしてそっちに方向を変える、何かを達成もせず、誰かの言葉も気にしない、許可も求めないそもそも必要がない、たとえどんな状態の自分であろうとOK、そのままの自分でいたらいい、つまり“無条件” に自分を受け容れること。

そういった意味でたいへんなのは、「このままじゃいけない」とか「こうしなければならない」とか「できていないのでは」とか
「◯◯をしてはいけない、◯◯でなければいけない」の数々をかわすことですかね、
「なぜなら自分はだめだから」へと自己価値を引き摺り下ろすたった「3%の脳」の言葉を信じないこと。

そう、これを言ってるのは、果てしなくひろがる広大な自分の中の、たった「3%」の言い分なんです。


で、このままメディスンいきますね。

◆今週のメディスン9/25〜
テーマ:自分の大きさ、でかさ、すごさに気づく
自分は望む未来を創造できる存在


おおむね自分を動かしているのって、この「3%の脳」なんですよね、いわゆる「顕在意識」といわれている部分。

そしてこの部分から発せられるのはたいていあれやれこれやれお前はだめあれが足りないこれが足りない等々、けして自分を休ませてはくれない、文句ばかり、価値をさらにおとしめ傷口に塩を塗るようなことばかり、

あるいはそんなことをしたら危険、お前には無理なのだからやめろ等々、おそれと不安を湧かしまくる言葉ばかりを投げつける、

それでいてじゃあどうすれば自分は幸せになれるのか安心して暮らせるのか生きられるのかなど、具体的実践的かつ効果的なアイディアや素晴らしいひらめき✨などは一切提案できない、まったくできない、されたためしがない。

つまりお前のためだと言いながら、過剰な防衛とむしろ不安を根付かせる、なぜなら「自分には価値がない」という前提からの言葉しかもっていないからなのです!
(もちろんそれだけではないですが、ここではもっとも大きく働く傾向としての部分にフォーカスしています)


けれど再度申し上げますが、これをやってるのは「3%の脳」なんです、自分という広大な存在のうちのたった3%の意見なんですよ。

ちょっと図をつくってみました。見たことがあると思いますが、こんな感じです。
この黄色い三角の顔の部分です。
そして言わずもがな、自分という存在は、この下のピンク色の部分まで含みます。

 

さらに言えば、自分はこのブルーの部分も含みます。スペースの関係で四角い範囲で区切られているように思えますが、もちろんこの画面全部、いまあなたがこれを読んでいるPCや携帯やタブレットも含みますしテーブルや椅子や部屋や家や地域や熊や牛やねこちゃんや、空や雲や地球全体、星々、とにかくすべてを含みます、っていうか含まれてます、というか含み含まれています。

ここでは長くなるので説明は省きますが、自分、というか人間て、個であると同時に全体でもあるんですよね。

ふんわりしたスピリチュアルな話ではありません。物理学や量子論、時間論、宇宙論などなどよければ調べてみてください。

けれどわたしたちは、この黄色い顔の部分でしか世界をみていない。
それどころか、この見えてない自分さえみていない、把握していない、つまり自分のことなんかわかっちゃいないんですよ!

なのにあれやれこれやれやいやいいうわけですよ、あれが足りないこれが足りないだからお前はだめなんだ、お前がだめだからあれもこれもやんないと、できないとだめなんだと。

そして最後にいう、結局おまえはなんにもできない、できるわけがない、とかね。もうその時点で矛盾してるじゃん、けど気づいてないじゃん、うやむやじゃん。

 

さて、最近のわたしはとにかくいままで以上にシンクロがすごいです、もういちいち覚えてない、というか、ああほんとはこういうものなんだな世界って、という感じ。探す必要さえないんだな、よくいうけど、すべてはすでにある、ほんとにそうなんだな、と。こっちが「真実」なんだなと。

こうしたシンクロ、目に映るすべてがメッセージって(やはりユーミンすごい、「やさしさに包まれたなら」の歌詞読んでみてくださいな、今月の呼吸のクラスに参加してくださったみなさま、まさに今月やったのはこれです!)、
特別なことでもなんでもなくて、
いわばすべてが自分なので、当然といえば当然なんですよね。

というわけで、人間てすごいんですよ、とにかくでかい、目に見える自分以外のところですべては動いてる、物質化、つまりこの肉体がふれて体験できるもの、ことっていちばん最後。つまり3%の顔の部分が知り得ることって、常に過去のこと、データベースからの回答しかないんです、知識として知ってること。

わたしたちは肉体があることで分離を感じ、自分ひとり切り離され取り残されているのだという“錯覚”から孤独感、寂しさや自信のなさ、認めて受け容れてほしいといった思いが起こってくる。

けれどそれを感じているのは3%。限界を決めているのはこの3%なんです。

切れば真っ赤な血の流れるこのからだ、いやなことがあれば胃が痛くなったりするし、風邪を引けば熱もくしゃみも鼻水も出る。

わざわざ弱い部分にばかり目を向けて、小さくみせたりしなくてもいい、その必要がない。

あなたは自分の理想を実現するに値する、世界であり世界をつくる存在なのだから。


どうぞ今週は、自分の気づいていないでかすぎる、すごすぎる、やばすぎる自分をみつけてください。


それではまた😊