世界は遊び場、真っ白なスケッチブックと宝箱を抱えて飛び出せ!〜今月のメディスン10月


今月のメディスンを書くときに、毎回思うことは同じなんですよ、え、もう◯月なの? と。
ほんとに日々が早い、速い、とっとと過ぎてしまう。

だからこそ、たとえば川の真ん中に立って、自分の足の両側、間から流れゆく水に押されないようしっかりと自ら立つのか、そして思う方向へと歩き出していくのか、
それとも自分を放棄してただただ流されていくのか、
あるいはその流れに自ら乗っかってゆだね、流れそのものになるのか、はたまた乗りこなしていくのか。

そのどれもでありそのときどきの自分、あるがままに、なのだろうなと思う。
ただひとつ、けしてあせることなく、あせる必要もなく、
その折々の風、温度、肌にふれる感覚、質感を感じて親しみ、楽しみながら、驚きながら。

こどもって、たぶん、そんなふうにして生きてるんじゃないですかね。
見るものふれるもの、起こることのすべてを眺め「これはなんだろう? どんなふうに遊べるのかな?」と、

驚き、親しみを深め、いやなら放り投げ、でももう一回手に取ったりして、
また別の何かが見えてきて、発見されて、驚き、笑って、大切にポケットにしまって。


今月のメディスンは、まさにこんな感じ。

 

◆今月のメディスン10月
テーマ:こどものころのわたしなら
無垢、無邪気、真っ白なスケッチブック、何も入っていない宝箱

こどもにとって、世界は遊び場。
とてつもなく大きくひろく、そしてわけのわからないものがいっぱい詰まったおもちゃ箱でありびっくりするもの、思わず笑ってしまうもの、これはどんなふうに動くのかな? って、不思議を誘発するあれこれが飛び出してきたり、
うずくまっていたり、ひそんでいたり、ちらちらと顔を出したり通りすぎていったり、
いったいどこに何があっていつあらわれるのかわからない、まさにダンジョン。
毎日が冒険!

ときにびっくりしすぎて、こわすぎてわんわん声を上げて泣いてしまうこともあるけれど、
どこからか漂ってきたおいしそうなおやつの匂いや、ちょっと顔を上げたすきに目に映った面白そうな何かを見つけると、
びっくりやこわさなんてなかったかのように、おやつや自分を面白がらせる何かに向かってまっしぐら。

わたしたちはたぶん、もれなくそんな時間を過ごしてきたんじゃないかと思う。

なぜ、それができなくなったんだろう、
なぜ、それではいけない、ということになったんだろう、


ここで時間を戻して。
それができない、やっちゃいけない、という考えだけを抜いていまの自分に戻ってきたら、あなたはどんなふうに時間を過ごすでしょう。


これが今月、10月のメディスンです。

あなたは真っ白なスケッチブックと、何も入っていない宝箱を持ってる。
世界は面白いこと、もの、ひとたち、楽しいこと、もの、ひとたち、
そしておいしいもの、よろこびで満ち満ちている。

その面白さや楽しさ、おいしさやよろこびの加減は「やっちゃいけないというひとたち」とはちがうかもしれないけれど、
やっちゃいけないひとたちと自分の「それ」がただちがうだけ。

だったら、あなたはそのスケッチブックに、宝箱に、
自分が面白いこと、もの、ひとたち、楽しいこと、もの、ひとたち、おいしいもの、よろこびを毎日毎日いっぱい描いて、そしてしまって、取り出しては遊んで、親しんで、
そして今度は、「それ」をみんなにみせてあげたらどうだろう。


もしかしたら、「やっちゃいけないというひとたち」も、
別の「やっちゃいけないというひとたち」にやっちゃいけないと言われただけで、
その「やっちゃいけないというひとたち」もさらにまた別の「やっちゃいけないというひとたち」にいけないと言われただけなのかもしれないよ?

「やっちゃいけない」という理由って、ただそれだけなのかも。


あなたのスケッチブックには何が描かれ、宝箱には何が入っているのか。
もしかしたら、どちらも煤ぼけて忘れ去られてしまったかもしれない。

だったら取り出して、開いて、そして集め直してみてください。
自分の面白いもの、こと、ひとたち、楽しいもの、こと、ひとたち、
おいしいもの、わくわくするもの、よろこび。

自分の「それ」だけでいい。
けれど、もしかしたら、隣の誰かも、おんなじものを描き、箱にしまっているかもしれないよ?
もしかしたら、「やっちゃいけないというひとたち」だって。


というわけで今月。
ぜひこどもの自分を目覚めさせ、この世界でたっぷり遊んでみよう!
そして疲れたらゆったりと休んで、ぐっすり眠って。

なんか書いてたら、めっちゃわくわくしてきました。
そしてうれしくて、ちょっと涙があふれて。


それではまた!
今週のメディスン、後日出しますね。