「目的地へ向かう列車に乗る」〜今週のメディスン2/12〜


こんにちは。
ワークショップ続きでなかなか落ち着かない自分ですが、それでも先週は頭は別のことに切り替わっていて、
いろんな整理がちょっとずつできてきている感じです。

それにともなって、積み上がっていた資料を片づける余裕や、手帳のセットアップなどもようやくできて、
少しずつ今後の準備、の準備をはじめた週でした。


で、さっきふと思ったことがメディスンにつながっていたので
早速いってみましょう。


★今週のメディスン2/12〜
テーマ:「目的地へ向かう列車に乗る」


さっき思ったのは2つあってですね、
ひとつは「寒の戻り」。

もうすぐ春がやってくるじゃないですか、もう風に春の匂いがぷんぷん混じってる日もあるし、
しかしその前に訪れるのがあいつ、そう「寒の戻り」。
自分はあいつが大嫌いで、行ったんなら戻ってくんなよと、なんで戻ってくんだよと、
今日現在まだ冬は行ってもいないのに、もう考えてしまってるくらい嫌な現象なんですね自分にとって。

そしてもうひとつは最近、ここ視点変えないとだめだなと思っていたあることについてなんですが、
自分はなんかいっつもひと手間ふた手間、面倒なことしてるよなと。
最終的にこうするなら、最初っからこうしとけばよかったじゃん、ということが結構多いよなと。

それはもとをたどると「不足感」に行き着くわけですが、足りない/無理と思っているからそれを補うというか、回避、あるいは代替策的な手間がかかってるんですね、
けど最後の行動はおんなじなんですよ、すごい遠回りなんです、二度手間三度手間なんです。

結局「不足感」を軸にしてると迷いとか悩みが発生するんですね、
これをやってじゅうぶんにいかなかったらどうしようという類の。

だから遠回りになる、時間がかかる、やらなくていいことをいっぱいやってしまう。

で思ったのは、変わっていない自分のほう、つまり現在の自分、「不足/無理軸の自分」に視点がずっとあったわと、
変わったあとの自分、
つまりそのことについてなんの抵抗も不安もなく自然に行為している自分、
「こう在りたい自分=満足/OK軸」で動いていなかったと。


ちょっとわかりづらいかもしれませんが、
ひとはこうなったらいいのに、と思って何かをしたりしなかったりすると思うんですが、
そのとき、一瞬でも「こうなったらいいと思う自分像」を描いているわけですよね、
しかしまさに寒の戻りのように、「こうでいたくない自分像」に戻ってきてしまうわけですよ、というか、そこに居座ってる感じ。
「こうなったらいいと思う自分」なんているわけがないと、たぶん無意識に思い込んでる、秒で「なりたい像」を消してる、あきらめてる。

けど、また描いてしまう、「無理軸」に居ながら望んでしまう、思いを馳せてしまう。
けど、そこに居座ったまま、いくら「こうなりたい像」を描いていても、まさに絵に描いたお餅、食べることは絶対にできないんですよね。


今週のメディスンは「どっちを見ていますか? どっちに(で)行きますか?」というお話です。

行きたいところ、こう在りたいという望みがあるなら、
まずそっちの方向を向いている必要があり、
そっちの方向へ向かう電車に乗らなくてはならないというシンプルなお話。

食べたいと思ったら、そこに手を伸ばし、口に運ばなければ永遠に食べることはできないという、
考えるまでもなく自然なお話です。


行きますか? 行きませんか?
食べますか? 食べませんか?


行かない自分でそこに居続けるのか、行く自分で行くのか。
あなたはいつだって選ぶことができる。

たとえ「寒」が戻ってきたとしても、そのあと必ず春がやって来るように、
ゆっくり進んだらいい。

というわけで、また!