「恐れ」を淡々と探求してみる〜今週のメディスン10/23〜

 

こんにちは! 先日寒いと思ったら、また半袖着てるんですが、
今回長いので、早速いきます。

 

◆今週のメディスン10/23〜
テーマ:「恐れ」の探求
「恐れ」を楽しむ、親しむ。「恐れ」というギフト。

 

結局、ひとって、こわいんですよね、いろんなことが。
失敗したら、何かを失ったら、、あとはなんだろう?

そう、恐れてるもののバリエーションって、実は少ないんですよね。
もっといえば、恐れさせる“手段”といったらいいでしょうか。


たとえば、何かを失敗したとする。
よくみたらわかりますが、失敗自体がこわいんじゃないんですよね、「失敗」は「恐れ」につながる「トリガー」であって、「その先に起こるかもしれないこと」をこそ、おそれている。


ちょっと分解してみましょう。ほんとはマインドマップにするとよりわかりやすいんですが、


「失敗したら?」:叱られる、嫌われる、恥ずかしい思いをする、ばかにされる等と思っている

※その他、ご自身で問いかけてみてください

では、そうなったらどうなるか。

「叱られたら?」:つらい、苦しい、悲しい、悔しいなど
「嫌われたら?」:つらい、苦しい、悲しい、悔しいなど
「恥ずかしい思いをしたら?」:つらい、苦しい、悲しい、悔しいなど
「ばかにされたら?」:つらい、苦しい、悲しい、悔しいなど

※その他、ご自身で問いかけてみてください 

 

もちろん、ほかにもあるでしょうし、こまかいニュアンスなどもあるでしょう、
けれど見て! かぶってますよね全部、集約されますよね、まとまりますよね。

そして注目すべきは、これらはすべて「感情の変化」だということです(ここ大事です)。

いいですか、これら「感情」が起こったきっかけは「失敗」と名付けられたひとつの事象/現象です。晴れとか雨とか突風とか直下型地震とかと同じです。

で、そこで変化したのは現実や状況ではなく「“わたしの”感情」なんです。
もっといえば、つらみとか苦しみ等と細分化された「感情」という、これもまた「事象/現象」です。

突風でこわれた屋根の様子、とか、割れた地面だとか、びっくりしたりすちゃんの表情、ミルク飲んだ赤ちゃんの微笑みとかといっしょです。「目には見えない」という点がちがうだけです。

 

では、さらに続けてみましょう。

「つらくなったら、苦しくなったら、悲しくなったら、悔しくなったら」

ーーー「“わたし”はどうなると思いますか?」


※長くなるので、ご自身で問いかけてみてください。

 

さて、ここでひとは、たいてい行動を起こすんですね。
「このつらさ、苦しさ、悲しさ、悔しさ」、つまりこの「感情を持ち続けていること」自体が「つらい、苦しい」。そして「このつらさ、苦しさをなんとかしなくては」
と、策を練るんです。練る前に、反射的に動いてしまうこともあるかもしれません。


けれどその前に、ちょっとみてみてください。状況それ自体は、別になんも変わってないんです、なんにも起きてません。
変化したのは(実際には変化ではないんですが)「感情」であり、それもたぶん「つらい」と「苦しい」の2つに集約されてしまうでしょう、2つです。もしかすると、どちらか1つにまとまってしまうかもしれません。

そして、これらは直下型地震と同じ、「失敗」というひとつの事象/現象と、「わたしの感情」という、同じく事象/現象同志です。バタフライ・エフェクトが浮かんだ方もいるかもしれません。

 

結局のところ、わたしたちが恐れているのものの正体って「つらさ、苦しさ」という感情、この感情でいたくない、この感情を感じたくない、この感情になりたくない、、

と書いてて、今回のメディスン、ここで終わりでいいんじゃね? って気がしてきましたが、

なんというか、めっちゃ開けるのをこわがってた箱の中を見たら、ハムスターとかピグミーマーモセットとかマダムベルテネズミキツネザルとかバルチスタンコミミトビネズミとかが木の実とか取られて震えてた、みたいな感じ(ちなみに世界でいちばん小さな哺乳類とされるトウキョウトガリネズミは全長約7cm、体重2gだそうです、塩小さじ半分以下ですね😊)。

 

とはいえ、これでは終われません。ここからがたぶん本題です。
感情以外の側面、「思考」を見てみましょう。


「失敗したら?」:何かを失ってしまう、奪われるなど

では、

「何かを失ってしまったら?」:おしまいだ
「何かを奪われてしまったら?」:おしまいだ

※長くなるのでこまかくは割愛しています。ご自身でぜひ問いかけてみてください

では、

「おしまいになったら?」:孤立する、ひとりで生きていかなければならない、など

※「自分はだめだ」になったとしたら、問いかけてみてください。まだ抽象度が高いです。

 

ちなみに「何かを失ってしまったら&奪われてしまったら」には、「おしまい」以外に「またやり直さなければならない」とかもあるかと思うんですが、

そしたらやり直したらいいと思います。そっちに意識が向く方は、ここで「恐れ」は外れるはず。

もちろん、そのあとに、「めんどくさい、やりたくない」とか「自分にはできない」「また失ったら奪われたらどうしよう」みたいなのが考えられますが、

「やりたくない系」は、やらなければいいのだから、これも「恐れ」から外れますし、「自分にはできない」の場合は、「できなかったらどうなるのか」を探求してみるといいですし、
「また失ったら奪われたらどうしよう」の方は、それこそやり直しに戻るのでループ、「ひとりで生きていかなければならないとしたら」などを探求してみてください。

 

ここでだいたい、「本当に恐れているものが何か」、わかるんじゃないでしょうか。

で、言ってしまうと、「何かを失ってしまう、奪われる、おしまいだ」にあたるのはすべてが予想、想像、もっといえば「妄想」です。

つまり、わたしたちは、自らが生み出した「妄想」におそれているのだと。

例に出した「失敗」はひとつのできごとであり、
そのあと「何が起こるかわからないからこわい」

つまりそれは「未知への恐れ」であり、
「わからないから妄想する」

この妄想がさらに恐れを助長する、恐れが恐れを呼ぶ。

 

長くなりましたが、とりあえず、まずは「何が起こるかわからない箱」を開けて、中を調べてみませんか。
結局みんな、「恐れに恐れている」んですよね、
「恐れているものがなんなのかわからない」、だから「こわい」。

たとえ目を背け、耳をふさいでも、何が入ってるのかわからない箱の中身に感情を揺さぶられ、遠ざかろうとすればするほど妄想し、つぶらな目をしたピグミーマーモセットを、なんかわからない恐ろしい妖怪のようなものに仕立て上げてしまう。

しかもそれは架空、妄想上の生物、あなたの頭のなかにしか生息していない生きものです。そう、生命を吹き込んでしまった。

箱自体を投げ捨てることももちろんできます。
できるなら、それがいちばん手っ取り早い。

けれど、遠ざかりたい、という状態では、たとえ投げ捨てても、妄想/幻想に襲われるのが常ではないでしょうか。

捨てるというより、やはり見ないふりをしているのと同じだから。

 

よく、愛の反対は無関心だといいます。
けれど、なぜひとは無関心という態度をとるんでしょう。

無関心とは、そこに意識を向けない、つまり見ない、見ようとしない。それはなぜ?

やはり、愛の反対は恐れだとわたしは思う。

 

恐怖、それは妄想に翻弄され暴走する構造(韻を踏んでみました)。

とりあえず、箱を開けて、とことん探究してみることをおすすめします。

「なーんだ、これか」って思えるまで開け続けてみてください。
それは、間違いなくギフトだから🎁

 

というわけで、長々と読んでくださりありがとうございます!

ちなみに、世界でいちばん大きな哺乳類は、ご存知の通り、シロナガスクジラだそうです。
クジラのメディスンは、あなたのたましいのままに進むこと。あなたというひとつのメロディと世界との共鳴、共振、奏でられる壮大なオーケストレーション

 

ひとは案外、自分の底知れないちからに気づいてしまうことを、
おそれているのかもですね😊🐋